このところ夏日になったり3月頃の気温になったり、日本で竜巻の大惨事が
起きたことすらびっくりしている昨今、どうか静かにしていてくださいと、自然の
神様に祈らずにはいられない。
震災から1年2か月、だんだん薄れていく中、友人がフェイスブックで小学生が書いたという
作文を紹介してくれた。昨年あれほど震災に心痛め、復興を!絆を!と願った毎日を
呼び覚ませてくれるものだった。
感動した作文の内容は下記の通り,勝手に転載させていただきました。
「ありがたいねえ」
宮城県 小学校六年 中村早希
三日目、凍りつきそうになる両足をガタガタ震わせながら考えた。
(そうだ、あの日も、私はごはんを残していたんだ。しかも、私達の学年の残飯量は、
毎日、目立っていた。)
あちらこちらから、せきをする音が聞え、避難所として用意された教室に響いた。
そして、小さな子が泣き出す。
「おなかがへったよお。」
その子達のお母さんが、二人をだっこして、教室の外へ出ていく。
「すみません。」
小さな声だった。私は心の中で返事をする。
(誰も迷惑なんて思っていませんよ。)
丸二日、食べ物を口にしていない。突然、恥ずかしいという思いが押し寄せてきた。
自分の意思で、食べ物をそまつにしてきたことに対する恥ずかしさ。
「え、本当に。やったあ、やったあ。」
「もらえるんだって、おにぎり。」(うわあ、三日ぶりのごはんだ。)
配給されたおにぎりを両手を器にして、半分腰を曲げて受け取った。いや、頂いた。
でも、あれほど待ちのぞんだおにぎりなのに、食べるのがもったいないように感じられた。
友達と、こんな会話をしながら、寒さと恐怖とたたかっていたのだ。
「食べ物が食べられるようになったら、最初に何が食べたい。」
私達の答えは、三人とも、おにぎりだった。
この時、私の耳に入ってきた言葉、
「ありがたいねえ。」
近くで窓の外をじいっと見つめながらおにぎりを食べていたおばあさんの言葉だった。
その言葉によって、手のなかのおにぎりが、よりいっそう輝いて見えた。
感謝の心が、つやつやと光っている。友達と顔を見合わせ、どちらともなく、口にした言葉。
「食べるよ、食べるよ、せえのっ。」
口にしたおにぎりの味は、たぶん、一生忘れないと思う。
「一つ夢、かなったっちゃあ、私達」
お米の味をかみしめながら、自衛隊の人に手を合わせ、何度も何度も(ありがとう。)を繰り返した。
今、思う。あの日のおにぎり、あれは希望だった。
あのおにぎりがあって、私がいる。おなかがへった、と泣いた二人の命がある。
寒さとたたかっていたお年よりの方々の命がある。あれは千二百の尊い命をすくった、
まさに命のおにぎりだったと思う。多くの手と、その思いが実らせるお米だからこそ、
私達に希望を与えてくれ、明日を感じさせてくれたのだと思う。
支え、支えられるための力を生み出してくれたお米に感謝したい。
(ありがたいねえ。)